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映画と漫画と、ときどき小説。

好きな映画や漫画の感想、日々思ったことをつぶやいています。ネタバレへの配慮はありません。

映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲

大人が見ても泣けると評判の「オトナ帝国の逆襲」、私も泣きます。

ひろしが、自分が大人であることを忘れて遊んでいた万博のセットの中で

しんのすけのことを思い出すシーンで、ボロボロボロボロ泣いてしまいます。

ひろしも泣いていますね。

 

何故あのシーンは泣いてしまうのでしょうか?

 

多くの大人が涙するであろうシーンですが、感動の涙ではありませんよね。

あれは哀しみの涙だと思うのです。

愛する我が子を思い出して、どうして悲しくて泣いてしまうのか?

そんなこと考えなくても分かるでしょ、と言われてしまいそうですが、

今日はその辺を考えることに浸ろうと思います。

 

この映画に出てくる大人達は「20世紀博」に夢中です。

20世紀博とは、20世紀の懐かしいおもちゃやテレビ番組、街並みを再現したテーマパークです。

ひろしとみさえも、しんのすけとひまわりを託児所にほっぽり出して童心に帰って遊んでいます。

 

私も20世紀博が楽しそうだと思います。行ってみたいです。

ノスタルジーに浸るのってとても気持ち良いんですよね。

20世紀が21世紀よりも良い時代だったとは思いません。

おもちゃは今みたいに音が鳴ったり光ったりせず、単純なものしかなかった。

テレビ番組は画質が悪く、特撮はミニチュア感丸出しで、CGがないから表現できる事も限られていた。

街並みは汚かった。

 

それでも私が20世紀に浸りたいのは、子供時代を過ごしたのが20世紀だったせいだと思います。

ひろしやみさえもそうなんじゃないかな。

子供の頃に夢中になっていたものを見ていると、子供の頃の気持ちに戻れるのです。

それが気持ち良い。

 

映画の話に戻します。

ある日の夜、テレビから「明日お迎えにあがります」という20世紀博からのお知らせが流れます。

その瞬間から、ひろしとみさえは親であること、大人であることを放棄してしまいます。

晩御飯も用意せず、しんのすけとひまわりをほったらかして寝てしまいます。

朝になってもみさえは朝ごはんを用意せず、ひろしは会社にいこうとせず、2人でお菓子を食べてゴロゴロしています。しんのすけは自分で朝の支度を済ませ、やっぱりほったらかされているひまわりをおんぶして幼稚園に向かいます(いいお兄ちゃんですね)。

幼稚園に向かう途中でも、幼稚園に着いてからも異様な光景が広がっています。

大人達が皆仕事をせず、子供のように遊んでいるのです。

そして、20世紀博のトラックがやってくると、大人達は皆楽しそうに乗り込んで行ってしまいました。

街に残されたのは子供だけです。

誰も働いていないので、お店は全て閉まっているし、インフラも止まってしまいます。

しんのすけトオルくん、ネネちゃん、マサオくん、ボーちゃん(+ひまわり)のいつものメンバーでサバイバルが始まります。

 

子供達のパートはすっとばしますが、なんやかやとあって、しんのすけ達は親を正気に戻すために20世紀博に乗り込みます。しんのすけは、万博のセットの中で子供に戻って遊んでいるひろしを見つけます。ひろしは自分を子供だと思い込んでおり、しんのすけが誰だか分かりません。

 

この騒動の黒幕から、大人達が変になったのは昭和の匂いのせいだと聞いていたしんのすけは「昭和の匂いに抵抗するには現在の匂いだ」とひろしの靴の匂いをひろしに嗅がせます。

 

そして、冒頭で触れたひろしがしんのすけのことを思い出すシークエンスが始まります。

その後、目を醒ましたひろしやみさえと一緒にしんのすけが黒幕を倒すのですが、

私的にはこのひろしが目を醒ますシーンがクライマックスです。

 

自分の靴の匂いで気絶したひろし(どんな匂いなんでしょうね…)は夢を見ます。

父親が漕ぐ自転車の後ろに乗っている少年のひろし。

振り返ったお父さんがひろしに優しく微笑みかけます。

時は流れ、ひろしは高校生になり、自分で自転車を押しながら気になる女の子と2人で並んで歩きます。

さらに時は流れ、ひろしは会社員になり、みさえと出会い、結婚し、しんのすけとひまわりが生まれます。マイホームも建て、騒々しくも楽しい家庭を築きます。もう立派なお父さんです。

 

そして、しんのすけを後ろに乗せてひろしが自転車を漕ぐシーンになり、目を醒まします。

ひろしが自転車を漕ぐ辺りで私の涙腺が崩壊します。多分皆そうですよね。

目を醒ましたひろしも、やっぱり泣いています。

 

子供の頃を思い出すのが気持ち良いのは、自分は守られているという安心感を覚えるからじゃないでしょうか。親の庇護の下にいるということを、親の自転車の後ろに乗ることが象徴しているように思います。

 

親に守られていた幼い日々。

自分を無条件に受け入れ、育ててくれた。

楽しいことや嬉しいことがあれば、我が事のように一緒に喜んでくれ、

辛いことや悲しいことがあれば、慰め励ましてくれた。

親が危険を遠ざけてくれるから、安心して無邪気に過ごす事ができた。

 

でも、いつまでも子供ではいられない。

かつてひろしがいた安全で暖かい場所には、今はしんのすけがいる。

ひろしはかつて自分がそうしてもらったように、

しんのすけが安心して過ごせるように守る側になった。

 

あの居心地の良い場所に自分はもう戻れない。

永遠に失っているんだと気づくことによる涙なんですね、きっと。